いとも容易く、吸血鬼狩り(仮)の根城は突き止められた。駅前のホテルだ。シオンはこういうときにとにかく役に立つ。エーテライトは万能だ。道行く人間に、次から次へとエーテライトを刺し、記憶を探る。どうでもいい記憶の中から、ひっかかる部分をピックアップしてくる。それを見ていて、さつきはぞわぞわと背筋を凍らせていた。人権侵害も甚だしい。彼女の前では、みんな丸裸で歩いているに等しいのだ。これほど恐ろしいことは、なかなか無いと思う。
「何をしているのです」
 ハッとして、さつきは顔を上げた。知らず、シオンから体を隠すように、腕で己を抱いていた。じっとりと睨んでくるシオンに苦笑いで応じて、振り払うように歩き出す。
「さつきを覗き見たことはありません」
「え? あ、うん。そうなんだ?」
 バレてる。さつきは冷や汗をかきながら、ハハ、と空笑いした。
「それに、貴女なら接続されるより早く気付いて切断するでしょう。それくらいはできると思っています」
 少しうつむき加減で、シオンは言い訳を続けていた。そう、言い訳だ。後ろめたいのだ、彼女だって。鉄面皮のようで意外に人間味のあるところが、シオンの魅力だ。こう見えて実はよく怒る。実はよく笑う。知っているのは、きっとさつきだけなのだろう。
「できるのかな」
「試してみますか?」
「ううん。遠慮しておく」
 これから戦う相手より、シオンのほうがよっぽど強敵に違いない。何せ初めて会ったときは一発で脳天抜かれてしまったわけだし。
 そんな物騒なやりとりをしていると、目的のホテルは目の前だった。さつきはごくりと生唾を飲み込んで、悠然と佇むシオンを見つめた。覚悟を決めたと言っても、自分達を倒すことができる相手との戦闘経験はあまりないさつきは緊張していた。シエルとのそれは、戦闘ではなく狩りだったし、先日のシオンとのあれは、論外だ。だから、やる気満々で挑むのは初めてということになる。
 深夜三時。フロントの照明はやや暗め。橙色の灯がぽつぽつとついていて、フロントだけが煌々と照らされている。受付は三十路手前くらいの女性。手元で携帯でもいじくっているのか、視線はやや下向いていたが、二人の来客に気付くとさっと顔をあげてにこやかに微笑んだ。が、それも一瞬。二人が未成年の女子二人と気付くや、笑顔にヒビが入る。
 さつきは苦笑。シオンは無表情に、フロントへ歩み寄った。
「外国人のグループは泊まっていませんか?」
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
 明らかに警戒している様子だった。それも仕方のないことだ。深夜。未成年。女が二人。しかも、片方は外国人。これで警戒するなというほうがどうかしている。犯罪の香りしかしない。
「お名前を――」
 ぱちん、と音がして、受付が倒れた。さつきはおろおろしているが、シオンは平然と向き直り、一つため息を吐いた。
「こうするのが最も手っ取り早いと出ました」
「そりゃ、早いだろうけどさ。はぁ、ごめんね、お姉さん」
 少し頑固で融通が利かないところは、玉に瑕。白目を剥いてしまっている受付の瞼を降ろしてやって、さつきは先にエレベーターへ乗り込んだシオンの後を追った。
「監視カメラとかは?」
「全て死角から破壊済みです。問題ありません」
「手慣れてるね」
「それなりに」
 バレルレプリカを構え、階数表示を睨むシオンは真剣そのものだった。じっと、その後ろ姿を見つめる。そういえば、シオンは何故ついてくるのだろうと、さつきは疑問に思った。別に、自分一人でも良かった。というより、自分一人のほうが気楽だった。だいたいシオンには、着いてくる義理は無いのだ。さつきが勝手に怒って、秋葉や志貴の仕事を奪おうとしているだけなのだから。
 ちん、と音が鳴って、エレベーターの扉が開いた。五階。最上階だ。脇目もふらずにここを選んだからには、あの一瞬で受け付けから情報は引き出していたのだろう。なんだっけ、とさつきは首を傾げる。ああそうだ。霊子ハッカー。意味はわからないけど、そんな二つ名がきっと関係している。
 エレベーターから出た瞬間、むっと体を包む何かに気付く。嫌な感覚だった。空気が重くなって、ついでに粘着質に変化したようだった。ねばねばと、さつきの体をなめ回す。シオンは平気そうな顔で、辺りを見回している。
「結界ですね。大したものではありません。こちらの動きが分かる程度のものです。不快なら消しますが」
「ううん。平気」
 さつきの鼻は、既に敵の位置を補足していた。このねばねばの一番強いところ。そこに何人か、こんな真夜中にひそひそと会話をしているヒトがいる。普通の人とは違う匂いなので、よくわかる。
「504号室」
 さつきが呟いた瞬間、匂いの元達がざわめいた。何故バレた? とかそんなことを言っているに違いない。くさいから、なんて言ったら怒るだろうか。それでもいいや、とさつきは姿勢を低くしながら思った。それでもいい、私は、もっともっと怒っているんだから。
「先にいくね」
 何かが炸裂したような音と一緒に、さつきの姿が消えた。シオンはやれやれ、と首を振りながら、さつきが蹴った床を見下ろす。危うく踏み抜くところだ。大きくひび割れ、へこんだ床。怖くなるような力だ。あれで、人間の血はろくに吸ったことがないというのだから、信じられない。主食は猫とか言っていたっけ。試しに今度襲ってみようか、と考えて、シオンはすぐに頭を振った。
「さつきに喧嘩を売ってどうするのですか」
 くく、と喉を鳴らす。この町の野良猫は、みんなさつきのものだ。猫の王様。そんな吸血鬼、聞いたこともない。が、猫に手出ししたらシオンとて見逃されないだろう。おとなしく、頼んでみるのが一番だ。さつきはあれで思い込みが激しい。感情の起伏もかなり激しい。ふわふわしてるせいで分かりづらいが、意外と激情家だ。黙って危害なんかを加えてはいけないのだ。だから、こいつらは初手から間違った。
「レクチャーが必要ですね。どうです?」
 シオンは天井に向けて言う。
「よく気付いたな」
 空間を切り裂くかのようにして天井から現れ、背後に立った男は、嬉しそうに言った。大仰な魔術だが、タネは大したものではない。破壊と静止と再生を、無駄をたっぷり含んで見せつけているだけ。三下もいいところだ。
「よく、気付いた? なんですかそれは。そんなに気配丸出しで、気付いてくれと言いながら近付いてきたくせに、よく気付いた? ふふ、本当にひどい」
「何を笑っている。貴様、シオン・エルトナム・アトラシアに間違いないな? ワラキアの夜の娘」
「如何にも。ですがワラキアの娘というのはいささか心外です。が、まぁ仕方ありませんか。そちらがそういう認識だというのなら、わざわざ訂正するのも面倒なことです」
 ぺらぺらと、随分よく喋る自分に驚く。どうやら興奮しているらしい。なぜかはよくわからないが、脈も体温も高い。
「で? あなたは私に殺されにきた、ということでいいんですか」
「その通り。私は死ぬためにここにきた。あわよくばお前と差し違えよう、などとは思っていない。足止めだ。片割れの死徒を、仲間が殺すまでのな」
 なるほど、とシオンは顎に手をやって納得したような素振りを見せる。人形なのだ。それでこいつの弱さも得心がいく。戦うまでもなく、魔術を繰り出すまでもなく、半分吸血鬼のシオンの爪で一撃の下に斬り伏せられるだろう。それほどに弱い。
「まあ、なんと言いますか。簡単に言えばあなた方の敗因はリサーチ不足ですよ」
「敗因?」
「そうです。敗因。本来戦うまでもないことですが、教えてあげましょう。本体にしっかりと伝えなさい」
「吸血鬼風情が私にものを教えるというのか。いいだろう、聞いてやる」
 目的は足止め。となれば当然の判断だった。
「私よりも、さつきのほうがはるかに強い。それだけです」
 は? と、呆気に取られた顔をした長身の人形が、さつきが消えた504号室を見た。物音一つしない。部屋の中にいるはずの仲間の声も、さつきの断末魔も、聞こえない。よほど想定外だったのだろう。青ざめた人形が、さび付いた車輪のような鈍い動きでシオンを見た。
「もう終わっていますよ。ほら」
 504号室のドアの隙間から、何かがあふれてきた。見間違えるはずもない。それは血だ。三人分はあるだろうか。どろどろと、廊下に広がっていく血を見て、人形は後ずさった。
「ばかな……」
「ばかな、ではありません。想定通りです。まったく愚かだ」
 では、と一言言って、シオンは人形の背後を取った。容易い。そしてバレルレプリカを脳天に照準し、トリガーを引く。人形の頭が吹き飛び、脳みそを晒してびくびくと震えた後、ゆっくりと倒れていく。
 人形の着ていた衣服などを漁るも、何も手がかりは無さそうだった。諦めて504号室の扉を開く。一応、ゆっくりと慎重に。
「さつ、き」
 ゆっくりと扉をあけて正解だった。差し込む月明かり以外に光源の無い部屋で、さつきはその青い光を一身に浴びて、泣いていた。立ったまま。右手に、若い女の頭を持って。
 壁に付着しているのは、肉と臓物と血がぐちゃぐちゃに混ぜ合わさったもの。辺り一面が、月明かりでてらてらと光る。どうにか、数を数えた。四人。あの一瞬で、四人もの魔術師を肉塊に変えたのか。
 己の血の気が引いていくのを感じた。波が引くように、一斉に、何も残さずに。残されたのは、正常なシオンの頭。何をやっているんだ私は。熱に浮かされてバカなことをした。
「さつき!」
 駆け寄って抱きしめた。
「止まらなかった。ほんとは、殺すつもりなんてなかった。脅かすだけでよかった。けどだめだった。腕が足が殺せ殺せって、わたし、わたしもうだめだ……」
「ごめんなさいさつき。あなたが人を殺せばこうなると、わかりきっていた。なのに、私は止めなかった。半分吸血鬼などと、言い訳はもうできない。私はとっくに、成っていた」
 シオンにとって、この魔術師達の命など軽い。どうでもいい、路傍の石だ。しかしさつきの心にダメージを与えるのは、本意ではない。絶対に違う。それくらい、わかるはずなのに。何故今夜に限ってこんなに血がたぎるのか。
「いけない。さつき、早くこの部屋から出なければ」
 血の臭いに酔いそうになる。力なくシオンに抱き留められているさつきを引きずって、部屋を出ようとする。が、阻まれる。仁王立ちの少女と、青年に。
「あ、ああ、あああああ」
 さつきが目を見開いて叫ぶ。最も見られたくない人間だったに違いない。遠野志貴と遠野秋葉。二人はじっと、さつきが引き起こした惨状を見つめていた。見られているほうが凍ってしまうほど無表情に。
「弓塚さん。ご無事で何よりです。シオンも」
「ええ……」
 さしものシオンも、おとなしくするほかなかった。志貴の右手はナイフを握っているし、秋葉の髪は真紅に染まっている。この二人を同時に相手をするのは無理だ。さつきがこの状態では。
「弓塚……」
「だめ、にいさ――!」
「いやああああああああああ」
 志貴が口を開いた瞬間、さつきがシオンの腕を振り払った。先ほどと同じように、地面を抉るように蹴り、窓を突き破って五階から何の躊躇もなく飛び出す。
「さつき!」
「っ! 待ちなさい!」
 追おうとしたシオンの背に、秋葉の怒声が響く。
「兄さん追って。私はシオンを抑えます」
「……わかった。ごめん」
「まったく、謝罪はあとで聞きます」
 部屋から出て行った志貴には目もくれず、秋葉はシオンをじっと見据えていた。つまり、ロックオンされているということ。これで秋葉が能力を使えば、シオンの体はあっという間に消し炭になるだろう。
「どうするつもりですか」
「遠野家の使用人、まあ翡翠は元気だけど、その仇討ちをしてくれたのだから、まずはお礼をしなくてはね」
「礼……?」
「ええ、この度はありがとうございました。しかし、私の町でこれ以上暴れられても困ります」
 大人しく着いてこいと、秋葉は言っている。シオンは一度窓の向こうに視線を投げた。無事だろうか。志貴に限って、殺したりはしないだろう。きっと、そのはずだ。自信はない。志貴の非情さは、時として親類縁者にも及ぶと、どこかで確信していたから。万が一、錯乱したさつきが志貴に襲いかかったらどうなる。通行人を盾にでもしたら。
 さつきを見逃すだろうか。
 さつきを見捨てるだろうか。
 それとも矢張り、殺すのだろうか。
 不安が消えない。秋葉に突かれ、背中を見せながら歩く。無事でいてくれなければ、どうすればいいのだ。彼女を煽動し、あの惨事を引き起こさせてしまった私は、どうすればいいのだ。良い友人になれると思ったのに。それすら、この吸血鬼の血は許してくれないのか。
「さつき……」
 こぼれるのは溜息ばかり。
 焦燥。怖れ。そんなものが、胸の辺りで渦巻いて吐きそうだった。臓物の匂いを嗅いだって平気なのに、たった一人の友人を失うことが恐ろしい。時刻は午前三時半。やがて、日が昇る。

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