深夜のコンビニバイトはとても楽だった。客は少ないし、時給も弾む。昼間寝ているさつきにとって、夜は活動時間だ。だから眠くも無い。これをしてなんて素晴らしいんだろうと思うさつきは吸血鬼として完成しているのだが、それはとても寂しいことだった。
「いらっしゃいませー」
 獲物相手に笑顔で接客をする滑稽さも、彼女にはわからない。
 世界は広い。深夜バイトをしている吸血鬼はほかにもいるかもしれない、とさつきはぼんやり思った。そしたら怖いな、もしかしたら突然出会ったりしちゃうんだろうか、などと考えるも、深夜にバイトするような間の抜けた、あるいはやたらと現実的な吸血鬼の中では、間違いなくさつきは最も強力だ。彼女がその細腕を振り回すだけで、並大抵の化け物ならば四散滅却するだろう。
 ともかく、さつきは吸血鬼に噛まれて吸血鬼になった。真祖だとか死徒だとか、領地があってどうのこうのという吸血鬼らしい理を一切学ばず、家を飛び出して彷徨っていた。本人の感覚としてはただの家出少女に近い。なんとなく、本能で色々と察してはいるのだが。
 主食は野良猫。たまに人も襲う。死なない程度に、記憶はさっぱり消す。人を襲うのは嫌だとかいう葛藤は、いつの間にか消え去った。
 三咲町は怖い人だらけだからと、しばらくあちこち旅をしていたのだが、最近戻ってきた。戻ってきてみると暇だったので、せっかくだからバイトをしようと思い立った。そんな生活が数ヶ月ほど続いたこの日、さつきはとある少女と出会った。
「いらっしゃいま──」
 その女は、ちょっとヘンテコな格好をしていた。配色を無視すれば軍服にも見えるような見えないような、でもヒラヒラスカートだしなんだこの人は、ああ、制服? 制服だきっと、なんて思ったかどうかは定かではないが、さつきの眼は真っ赤に燃えて、その女性に掴み掛かったのであった。
 相手が普通の人間だったら多分掴み掛かった、という表現はできなかっただろう。まず木っ端微塵だから、木っ端微塵にしに掛かった。となってしまう。幸い相手もそれなりに強い吸血鬼半歩手前の女だったので、なんとか避けることができた。名前をシオンと言う。
 シオンは物騒なことにこの日本で拳銃を抜いた。一発、二発三発と発砲して、避けられてたたらを踏んでいるさつきの脳天と心臓をブチ抜いた。
 シオンよりちょっと早く入店していた中年男性はパニック引き起こすことも忘れて缶ビール片手に立ち尽くしていた。その脳髄に、一瞬パチっと火花が走って、男性は気絶する。エーテライトによる処置だった。
「いたた……」
 さつきが頭を押さえながら、ゆっくり立ち上がる。シオンは距離をとった。
「あの」
 さつきが訴えかけるような、子猫のような声を出した。
「もうしませんから」
 なぜか、シオンは銃を下げた。
***
 今夜はとても月が綺麗なのだ。うむ。
 などと呟きながら、さつきは顔を真っ赤にして輸血パックを吸っていた。ちゅーちゅー。どことなく間抜けな音が、深夜の静寂にやけに大きく響いて聞こえた。
 にゃあにゃあとすり寄ってくる猫の一匹を抱いて、ほうと一息。
「ここでしたか」
 声にびくっと大げさに反応したさつきだったが、その主がシオンだとわかると、安堵したようにゆっくり振り返る。木の根もとにぺたんと腰掛けたさつきを、相変わらずひらひらのスカートが見下ろしている。彼女も同じように輸血パックでちゅーちゅーしていた。
「よいところでしょう。私は大変助かっている」
 うんうん。よいところです。部屋は綺麗だし庭は広いしご飯は美味しいし。まさに至れり尽くせり。この館の住人に会うまではね。と、さつきはゆであがった頭で思うのだ。
「顔が赤いようですが」
「そりゃ、赤くもなるよ」
 猫の背中に『の』の字を書きながらぶつぶつ。
「志貴と知り合いでしたか?」
 見下ろすシオンの視線がどうにも冷たい。
 出会ってから二週間。シオンとさつきはすっかり友達だ。家もなく、公園やら路地裏やら橋桁の影やら廃墟やらで眠っているさつきに対して、シオンはいつも綺麗な身なりをしている。さつきとて元は年頃の少女である。身なりに気をつけてはいるが、それでも外での暮らしとなると限度はあった。同じ吸血鬼なのにいつも小綺麗な彼女が不思議で、尋ねてみたのが五時間ほど前のこと。待っていろと告げてどこかへ消えたシオンが連れてきたのは、和服の女性だった。
 琥珀と名乗った彼女は、秋葉様に許可は頂きましたからとか、協力していただければとか何やら怪しげなことを呟きつつ、腰を落として座っているさつきと目線をあわせると、子猫にするようによしよしと撫でたのだった。このときさつきは自身が彼女を粉微塵にできることを忘我の彼方へ追いやってごろごろと喉を鳴らしていた。
 琥珀は遠野のお屋敷の住み込みのお手伝いだそうだ。遠野のお屋敷、と聞いて嫌な予感というか嬉しい予感は無いでもなかった。もう二度と会わないつもりでいた彼。どの面下げて会えと言うんだろう。殺し殺され。そんな望んでもいない関係になってしまった彼と。
 まあ結局、良くも悪くも彼は遠野志貴だった。笑ってさつきを迎え入れたのだ。
「うん」
 しばらくの沈黙のあとに、ようやく返すと、シオンはふうんと少し興味ありげだった。
「聞いてもいいですか?」
「いいよ」
「どのような知り合いなんですか。志貴とは」
 シオンにしては珍しい反応だ。志貴に興味があるんだろうか。でも、聞いたところによると今は彼女がいるらしいし。シオンなのかな? などと妄想を広げるさつきを、シオンの興味津々の目が見つめていた。
「ああ、ごめんごめん。えーと、なんだろう。元クラスメイトで、殺し合いをした程度の関係」
 悲しくて涙が出てくる。なんだ、殺し合いって。あのときは噛まれたばかりで自分を保てなかった。だからあんな酷いことになった。今はそんなことはない。苦しいけど、我慢を覚えた。だからさっき、久しぶりに会ったときだって、平気だったんだ。少し、噛みたかったけど。
「殺し合い?」
「うん。私ね、この町で噛まれて。遠野くんに襲いかかったんだけど、逆にやられちゃって」
 どうしよう言おうかな、と迷っているうちにさつきの口はベラベラと余計なことをくっちゃべる。
「成る程。運が良かったのですね。状況次第ではさつきは今ここにはいなかったでしょう」
「うん」
 志貴のほんの気まぐれで生かされた、と言うと少し意地悪だけど、結局そういうことだ。
「シオンはどうしてこのお屋敷に?」
「いつぞやに、ちょっとした事件があったのですよ。吸血鬼絡みの。知りませんか」
「私しばらくあちこちを回ってたから、その間だったのかな」
 恐らく、とシオンが頷く。
「志貴とはそのときに少し行動を共にしたのですが、コトが済んだ後、この屋敷で少々面白い人物に会いまして」
「琥珀さん?」
「ええ、そうですが」
 この屋敷には四人しかいないし、その口ぶりだと志貴ということはまずない。となると残り三人。なんとなく琥珀の笑顔が脳裏にちらついただけの、当て感だったが。
「本当は全員に興味がある」
 愉しそうに笑うシオンは少し怖い。にた、と笑う姿がやけに似合う。
「それで? どうするのです。秋葉も一応歓迎のスタンスを取っていますが」
「うーん。迷惑じゃないかな」
 吸血鬼だし。
 こめかみをひくひくさせていた秋葉の姿を思い出す。まあ確かに困るよね、とさつきは思う。
「志貴が良いと言えば、内心はどうあれ秋葉は同意してくれますよ。私のときもそうでした」
「それが迷惑なんじゃないかなと……」
 一応バイトはしているし、生活費くらいは入れられるはずだ。あんまりスケールの大きな生活させられると無理かもしれないけど、クラスメイトだった頃の志貴を思い出す限りは大丈夫なはずだ。そんな突飛な感じではなかった。多分。
「気にしなくて良いよ。秋葉はぶー垂れてたけどな。部屋は余ってるし、飯が賑やかになって良い」
「あ、し、遠野くん」
 吸血鬼パワーフル動員で立ち上がったさつきを見下ろしているのは志貴だった。苦笑する姿は、クラスメイトだった頃と何一つ変わらない。少し、大人っぽくなったみたいだけど。
「本当に変わらないんだな。あのときのままだ、弓塚は」
「ああうん。吸血鬼だから」
 照れながら言う台詞でもないが、志貴が笑っていてほっとする。にへらにへらと相好を崩すさつきを眺めるシオンの表情も柔らかい。吸血鬼だと言われて笑っている志貴は、どう考えても普通ではないのだがさつきがそこに気付くことなどない。
「好きなだけのんびりしていってくれ。シエル先輩も今はいないみたいだしな」
「やっぱりそうなんだ。消されるの覚悟で戻ってきたんだけど、一向に現れないからなんでかなって」
 シオンにしろそうだ。この町は吸血鬼にとっては最悪だ。教会のこわーいシスターがいる。一度やりあったとき、両足を粉微塵にされて心底懲りた。あれにはとても勝てそうにないと。
「忙しいらしい。敵は吸血鬼だけではありませんから、とか言ってどこかに行ったよ。もう半年近くになる」
 へーと相づちを打って、血をちゅーちゅー。志貴はそれじゃおやすみ、と踵を返す。
「ああ、あと、今町に妙なヤツらがいるらしい。気をつけてくれ」
 振り返って気になることを言うと、志貴は屋敷へ戻っていった。シオンとさつきは二人でちゅーちゅー見送って、しばらくして顔を見合わせた。
「んー……心当たりがあるんだけど」
「先日のアレでしょうね」
 時は一週間ほどさかのぼることになる。
***

 バイト明け。おなか空いたといつもの廃ビルへ戻ったさつきは、そこに猫の一匹もいないことに気付いた。野良猫たちの遊び場に間借りしている身としては、大家の一大事に気が気でない。ついでにひどく臭い。目がぎらぎらと輝いてしまいそうになる匂いだ。
「ねこさーん、どこいったのー?」
 廃ビルというのはそうそうあるものではない。風雨を凌げる最高の物件なだけあってとても珍しい。珍しい上に秘密基地にももってこいなので、地元の小学生が遊びにきたりするのだが、その辺はどうにかしている。さつきの目を見た小学生達は、たまに首筋に傷跡をつけて無事に帰宅していく。だから今回もそういうものであればいいなあとさつきは思っていた。猫達は追い回されて散り散りになっただけで、またすぐに戻ってくる。そうだったらとても嬉しいのだが、生憎とそうは問屋が卸してくれないらしい。
 酷い血の臭いが辺り一面に立ちこめている。小学生のいたずらにしては、あまりにも陰惨だ。猫十数匹分の血と臓物をぶちまけては、なかなか正気を保てるものではない。となると変質者とか。いややめよう。頭を振って、これがこっち側の人間か悪魔か吸血鬼の仕業だと理解した。
 さつきは目を真っ赤に光らせて、刃のような流し目をそこら中に飛ばしていた。逃げる時間がなかったのか最初からそんなつもりはないのか、下手人はまだここにいる。血の臭いで自分の気配を隠して、じっと息を凝らしてさつきの動向を窺っている。
 忌々しい。
 爆発音が響き、さつきは一直線に飛んだ。ただ地面を蹴っただけだが、柱の影に隠れていたそいつは身動き一つ取れないでいた。
「つかまえた」
 珍しく、語尾にハートマークを浮かべて、さつきが笑う。襟元を捻り上げられ、頸動脈を綺麗に抑えられた哀れな男は、眼前の吸血鬼の一呼吸で己の生が終わる実感に小便をちびるほど絶望していた。
 男は聞いていなかった。生まれて間もない吸血鬼だという話だった。
「あなたはだれ?」
 口調だけが愛らしい少女のまま、弓塚さつきの相貌は、まさしく怪物のものだった。尋ねているくせに、答えさせるつもりなんて欠片もない。首を締め上げられて宙ぶらりんの男の力では、どう足掻いたって振りほどけそうにない。
 そんな男の状態を、さつきはと言えばただ見誤っていただけだった。ただの人間相手に力を発揮したのは、思えば初めてだった。志貴にしろシオンにしろ普通ではないしノーカンだ。だから、人間がこんなに脆いものだと知らなかった。
「答えないと――」
 クキ、と音がして、男は動かなくなった。
「あれ? うそ」
 とっさに手を放すも遅い。男はべちゃりと打ちっ放しのコンクリートに落下すると、口から血を吐いてビクビクと痙攣したっきり動かなくなった。呆気ない処女喪失は、さつきを数秒間呆然とさせた。元々それが狙いだったのだろう。さつきの体が弓なりにのけぞる。顔面を捉えたものの正体はわからない。
 倒れる体を、後方宙返りで復帰させたさつきは、ようやく人影を捉えることに成功した。二人。
「誰?」
 声の調子は低い。頭にきていた。猫を八つ裂きにして、まったくの素人をブービートラップ代わりにして、この二人はさつきをハメようとした。
「素人ではないよ、その男」
 男か、女か。片割れの声はどうにも判別しづらい。しかしどういうつもりの釈明か。思いはしたが、尋ねてはいない。
「死ぬのも織り込み済みの値段で雇ってる。大事だからね。下調べ」
 もう一人が喋った。モノトーンの胡散臭いスーツ姿の二人は、同じ声、同じ姿で抑揚なく喋る。やけに大きなシルクハットが、顔を隠している。声の調子から、少なくとも体は子供のものと推定できたが、中身までそうではないぞ、とさつきの中で誰かが言う。そういうものらしい。
 右側のそいつが、掌をかざす。
「では」
 では? とさつきが聞き返そうとした瞬間、背後で銃声が響いた。
「さつき!」
 振り向いたさつきが拳銃を構えながら駆け寄ってくるシオンを見、再び二人の方へ振り向いたときには、二人の姿はなかった。

***

「あぅ……思い出したら憂鬱……」
 さつきはがっくりと肩を落とす。首をへし折った感触は、今も手に残っている。しっかりと。爪楊枝を折るように簡単だった。三日ほどは口も開けないほど落ち込んだ。自分を見失っていたことも関係しているだろうが、自分がああも簡単に人を殺せるという現実が恐ろしい。
「吸血鬼とはそういうものです。人と一緒に生きていくなら、どこかで折り合いを付けなければ」
「シオンは半分しか吸血鬼じゃないからそういうことがいえるんだよ」
 じと、とシオンを睨む。
「そう変わるものでもありません。私はもう吸血鬼でいることを認めた」
「ん? 吸血鬼化を止めるのが目標だったんじゃないの?」
「そういえば、話の途中でさつきが寝てしまったのか」
「そうだっけ?」
 とぼける。そうだったそうだった。
「とにかく。今の私の関心は吸血衝動を如何に緩和するか、というところにあります」
 輸血パックを吸いながらそんなこと言ってもまったく説得力がない。つまり人を襲わないようにする、ということなんだろうと好意的に解釈をして、ふうんとさつきが相づちを打つ。
「なんですかその投げやりな反応は」
「想像だけど、シオンって遠野くんと会う前って相当な堅物だったんじゃない?」
 突然の質問にシオンは目を白黒させたが、「まあ、そういう見方もできるかと」と歯切れ悪く言う。成る程ねとさつきは思う。牙を抜かれたのだ、あの遠野志貴に。
「わたしの牙も抜いてくれないかなぁ」
 指をわきわき。首の感触がまとわりついてくる。
「それで、琥珀さんと吸血衝動になんの関係があるの?」
 振り払うように尋ねてみる。シオンは最後の一滴まで美味しくいただいたパックを指さした。
「これに、彼女の血が微量ですが入っています」
「え?」
「もちろん、さつきのにも入っています」
 まじまじとパックを見る。心なしかおいしく思えてきた。
「彼女と翡翠の血筋には特殊な力があるそうです。私は彼女が望む色々な情報と引き替えに、この琥珀の血液入りパックをもらっている」
「琥珀さんと翡翠さんの血で吸血衝動が収るの?」
「そううまくはいきません。ですが、多少は効果があるはずです。気休めですが」
「その研究をするためにここにいるんだ」
 なるほど、ようやく納得がいった。短い付き合いだが、シオンの性格はある程度把握している。目的があってあちこちを飛び回っていたと話していたシオンが、何の目的もなくこの屋敷にいる理由はあまりないのだ。外国人だし。
「今は、研究よりも気にしなければならないことがあるようですが」
 どよーん、とさつきが落ち込む。
「シオンはもうあの人達の正体わかってるの?」
「いいえ。少なくとも魔術師ではあるようですが、私の知る機関の者ではないようです。考えられるとしたら」
「したら?」
「吸血鬼狩り」
「うわー――」
 シエル先輩はエクソシスト。となると今度はヴァンパイアハンターなわけね。なんだっけ? ブラムストーカー? ヴァン・ヘルシング? 小耳に挟んだことくらいはあるよ。うん。銀の銃弾に白木の杭。十字架を以てアーメンはきっとシエル先輩の役所だから、きっと傭兵稼業的な何かに身をやつす無頼集団とかそんな感じに違いない。
 銀の銃弾、効くのかなとさつきは想像してみる。ちなみににんにくは平気です。
「やだなー」
 さつきはのんびり呟いて月を見上げた。ほんのり、朱かった。



弓塚さつきが夢を見る

つづく
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