日が暮れて、どれくらい経つのだろう。現実逃避代わりにそんなことを考えて、アリス・マーガトロイドはすぐに意識を引き戻された。
「ひ‥‥ぁ」
 衣服の前面を大きく開かれ、ケープの影から乳房を露わにしたアリスは、その頂きを執拗に愛撫する女に視線を向けた。
 目尻に溜まった涙によってうすぼんやりと映る女は、切れ長の瞳をこちらに向けて、愉悦に歪んだ笑みを見せた。春の陽気のような、柔らかな笑みは影も形もない。
「ゆ‥‥か」
「どうしたの? 声まで潤ませて」
 妖艶に笑った風見幽香は、真っ赤な舌を出してアリスに見せつけると、ゆっくりと乳房に顔を埋めていった。緊張で強張るアリスの腰に腕を回し、着衣したままの上半身で押さえつける。
「や、やだ‥‥あっ」
 ピンと張り詰めた乳首には触れず、その周りで震える乳輪を、舌先でくすぐるように舐める。そうしながら、右手でアリスの左乳首を指先で弾き、つまみ、ねじる。ちくりと刺激が乳首の先に走り、思わず顔を歪めるも、右の乳首にはねっとりと優しげな愛撫が続き、痛みと快感に脳が麻痺していく。
「きもちいい? いたい? どっちが好き?」
 幽香は楽しげだ。口を噤んでそっぽを向くアリスを見て、瞳をにんまりと細める。酒のせいか、幽香の頬も染まりつつあった。
「答えなさいよ」
「いたっ……」
 力一杯、乳首を捻りあげられた。快感を伴わない純粋な痛みに、アリスは眉を顰めて我を取り戻す。
「やめ、て。なんでこんなこと‥‥」
 調子に乗って、慣れない酒を山ほど呑んだのがまずかったのだと思う。或いは、幽香に一服盛られたのかもしれない。とにかく、アリスの頭は平静ではない。意識はぐるぐると同じところを回り続けるし、感覚は幽香に触られているところに集中する。
 左手がへそを撫で、右手は乳首を執拗なまでにいじり、舌で乳輪をなめまわす。それら全てに反応し、体をはねさせては、口から甘い吐息をこぼす。こんなことを、望んでなどいないのに、アリスは幽香から逃げられる気がしないでいた。
「あら?」
 へそに押し込まれていた指が離れ、無理矢理に開かれた太ももの間へ落ちていく。下着越しに触れられた秘部は、自分でもぞっとするほどに愛液を垂れ流し、くちゅ、とねばついた水音を立てた。
「やだやだ……!」
 体をねじって逃げようとしても、もうだめだ。幽香の力には逆らえないし、逆らう気もだんだんとなくなってきた。できることは、嫌だと口にするだけ。それが、幽香の嗜虐心を煽る最高の餌になってしまうとわかっていても、そうしなければ自分がなくなってしまうような気がして。
「いやなの?」
 幽香が手を止めて、アリスの顔を覗き込んだ。組み敷かれて半刻も過ぎようかというこのときになって、幽香の瞳がぼうっと危険な情愛の色でアリスを見つめていた。
「……いや」
 目をそらし、蚊の鳴くような声で言うと、幽香は「そう」と一瞬だけ目を伏せる。
 助かったのか、と思った。その一方で、残念に思う自分の心に気付いて、己の尻軽さに心底自己嫌悪する。でも、
「好きよ、アリス」
 このたった一言で、きっとアリスは落ちてはいけない場所に落ちてしまった。



こわれもの、ふたつ



 風の強い日だった。
 アリス・マーガトロイドは美しい金髪をかきあげ、風に逆らうようにして里へ向かっていた。小さな歩幅で、つかつかと歩く彼女の背後には、いつも通りに人形が一体、風に流されそうになりながらついてきている。
 めんどくさ。
 ぽつんと呟いたアリスは、昼餉の煙を家々が立ち上らせる里を一望した。振り返って、はぁ、とため息を吐く。上海人形も一緒になって、肩を落とした。
「なんで私に行かせるんだろう」
 一緒に行くとか言ってたくせに。何が用事ができただ。どうせ、巫女のところに行くに違いないのに。
 ぶつくさと文句を言いながら、アリスは再び歩き出す。ショールが風でめくれ上がって、イライラしながらそれを直していると、里の入り口で、人間と鉢合わせる。しばらくアリスをぽかんと見つめた後、人間は挨拶をした。会釈を返して、目的の店へ向かう。豆腐屋だ。メイドに勧められて食べた豆腐揚げが美味かったとかなんとか。確かそんなことを言っていた。
「ごめんくださ――あ」
 暖簾をくぐった店内には、先客がいた。赤い上下に、白いブラウス。黄色いスカーフが、吹き込む風でふわふわと浮いていた。トレードマークの日傘を畳んで手首に提げて、豊富な種類の豆腐をじっと眺めている後ろ姿。切れ長の瞳をアリスに向け、少ししてから穏和に微笑んでみせた女。
「あら、久しぶりね」
「幽香?」
 そう、と頷いて、幽香は浮いているような足取りでアリスに近付いてきた。まるで親しげに、数年来の友人にでも会ったかのように。この女はアリスにとっては、苦々しい思い出の一つでしかないのに。
「またこんなところをうろついてるの?」
「あ、それくださいな」
 幽香は穏和に微笑んだまま、振り返って揚げ豆腐を指さした。こいつもか、などと思うも、無視されたのが気にくわなくて、アリスはむすっとした。
「私も、同じの。二つ」
 どこで手に入れてくるのか、幽香は慣れた様子で代金を支払うと、同じく妖怪相手も慣れた様子の店主から、揚げ豆腐を受け取った。アリスはむすっとしたままつかつかと店主に歩み寄って、会計を済ませる。振り向けば幽香は消えていて、ほっとしたのも束の間。店から出れば、日傘を差した幽香がふわふわ笑顔で待ち構えていた。この強い風の中で、傘は微動だにしない。
「何か、用?」
「つれないわね。久しぶりに会ったんだから、少しくらい相手をしてくれてもいいじゃない」
 はあ、と大きくため息を吐く。毎度毎度、里に降りると幽香に会う。といっても、これが二度目。確か、半年くらい前に来たときも同じように会ったのだ。里の子供に請われて、嫌々人形を動かしてみせてやっているのを、幽香がいつの間にか側に佇んで見ていた。笑顔の下に、どす黒い妖気を隠して。
「機嫌が悪いのね。何かあったの?」
 と、下から覗き込んでくる様子はまるで無害。実際、彼女の前で花を邪険に扱ったり、喧嘩を売るような真似さえしなければ、幽香は無害だ。のほほんと微笑んでいる、花を操るだけの妖怪にしか見えないことだろう。だが幽香が一度その気になれば、幻想郷は割と大変なことになる。そのくらいの力はある妖怪だ。
「別に。幽香には関係ない。じゃあ、私帰るから」
 人形に手を振らせて、踵を返す。
「待ちなさいよ」
 背中に、凍り付くような妖気を感じて、アリスは思わず立ち止まる。すたすたと足音が近付いてくるに連れて、首筋には冷や汗をかきはじめていた。
「な、何」
 どうにでもなれ、と横目で幽香を窺えば、
「食事でもどう? 豆腐揚げが三つもあることだし。お酒、おいしいのがあるわよ」
 にこにこと、しかし有無を言わさぬ強引さで、言うのだった。

 それから、アリスはのこのこと幽香に着いていって、お酒を振る舞われ、噂通りなかなか美味だった揚げ豆腐を食べ、犯されている。最初からこれが目的だったのだと思う。何故、風見幽香が自分に興味を持っているのかはさっぱり見当も付かないが。
 もしかしたら誰彼構わず、犯したくなったら犯すような妖怪なのかもしれない。そんな噂は聞いていないけど。
「好きよ、アリス」
「ひぎぅ!?」
 何を言われたのか理解する前に、幽香の指がアリスの膣へ深く侵入した。同時に唇を奪われる。口内を這い回る舌の感触は甘美だった。幽香の唾液とアリスのそれとが混ざり合い、熱い吐息と一緒に嚥下する。食道が、胃が、熱くとろけるように甘く染まっていく。
「あ……っ」
 膣内をまさぐる中指に気を取られる。探るように、ゆっくりとあちこちを確かめるにように蠢く指が、ある一点で止まった。舌と舌とを絡ませて、自身も官能に耽っていた幽香の目が細められる。きっと、口元は愉悦に歪んでいるに違いない。みーつけた、と。
「やら、だめ、そ……こ、ひぁあ」
 ぎゅっと、第二関節で折り曲げた指が、膣内の一点を突き上げた。じっくりとゆっくりと感触を楽しむように徐々に力を入れていく。かと思えば親指が襞を分け入り、陰核を擦り上げた。
「……っ!」
 アリスは背を弓なりにしならせようとする。しかし押さえつけられているために叶わず、全身を硬直させて絶頂に達した。声にならない声を上げて、余韻に浸らせようともせずに平然と責め続ける幽香に抗議をする。思い切り睨んだつもりだった。しかし、アリスの顔は弛緩し、上気し、普段の清楚な人形のような様子はどこにもない。無論睨み付けたつもりの瞳は、とろけきっている。早くも肉欲に絡め取られた、雌の顔だった。
 幽香は左手でアリスの後頭部を掴んで引き寄せる。尚も濃厚な口づけを続けながら、右手は膣とクリトリスの愛撫をやめるつもりは無いようだった。
「いや! や! やああ!!」
 再びこみ上げてくる。休む間もなく二度目の絶頂。アリスは涙を浮かべ、やめてと懇願する。二度くらいならまだ平気。けれど、平気な様子を見せたら、きっと幽香は限界まで、狂うまで絶頂させ続ける。
 そんな予感があったから、必死に抵抗した。抵抗したつもりでいた。実際は、もっとして欲しいとねだっているようにしか、見えなかった。
「やだ、イく……! イっちゃう。やだやだ」
「あなたのやだは、もっとして、って意味ね」
 唇を離し、唾液の架け橋を繋ぎながら、幽香が言う。指も膣から引き抜くと、てらてらと愛液によって輝くそれを見せつけ、なめる。そうしてから、再び膣に指を挿入すると、アリスの最も弱いところを責め立てた。
「ちが……あっやだやだいく……あ、ああ」
 呼吸が止まり、頭の中がスパークして、アリスは二度目の絶頂を迎えた。震える体を、幽香がきつく抱き留めていた。心地良い。幸福感があった。シーツを握っていたはずの手は、いつの間にか幽香の背と首筋に添えられて、組み伏せられながらキスをせがんでいるようだった。
「もっと?」
「……っ」
 荒く息を吐き、絶頂の余韻に今度こそ浸っているアリスの瞳を、幽香が覗き込む。
「やだ……」
 そっぽを向いて、それでも手は幽香に回したまま、アリスが言う。
「もっともっと?」
「やだやだ……」
「そう? たくさん、イキたいのね」
 そっぽを向いて、唇をかみしめて、少しうつむき加減のアリス。その顎が、僅かに上下したのを見て、幽香は心底悪い笑みを浮かべた。
「良い子ね」


 酷い夢。
 信じられないくらいに酷い夢だ。
 アリスは汗でべとつくシーツをぎゅう、と抱きしめて目を覚ました。欲求不満も、ここまで来るといっそすがすがしい。よりにもよって幽香? 確かに、昨日里で見かけて食事をして、それで――。
「最低……」
 言い訳なんてよそう。私は、幽香に犯されたんだ。
 だって、目覚めたのは知らない部屋だ。あちこちに花が生けてある、アリスの趣味とはまるでかけ離れた部屋。おまけに、肌に何かが付着して固まったのか、体中あちこちが少し引きつる。起き上がってみれば、はぐったシーツの下は案の定の全裸で、見覚えのある二つの乳房には、たくさんのキスマークと、噛み付かれたような痕があった。痛い。
「おはよう」
 すぐ近くから声がして、アリスは頭を抱えたくなる。隣で、矢張り裸の幽香がうつぶせの状態でこちらを見つめていた。大きな乳房がぐにゅ、と潰れているのが扇情的で、思わず視線を送ってしまってから慌ててそっぽを向く。
「おは……よう……」
 くす、と幽香が切れ長の瞳を歪めて微笑む。アリスはぞっと、背筋を粟立たせた。
 昨日のあれこれでよくわかった。この女の笑顔は、攻撃性の塊なのだ。どうやっていじめてあげようか。どうやったら良い声で鳴くだろうか。そんなことを、きっとずっと考えてるに違いない。危ない妖怪だということは知っていたけど、こうして押し倒された後なら嫌と言うほどに理解できる。彼女の性的嗜好もまた、攻撃性の塊みたいなものだったから。
「よく眠っていたわね。疲れた?」
「誰のせいよ! アンタがあんなに……あんなに……」
 牙向く勢いで幽香に向かって言うも、昨晩の己の乱れぶりを思い出して、アリスは沈黙する。
「きもちよかったでしょ?」
 ふふなんて笑いながら、幽香はどこか嬉しそうにしている。いつも浮かべている優しげだけど空恐ろしいものとは違う、本当に楽しそうな笑顔だった。
「う……」
 実際、怖いくらいに気持ちよかった。特に、「好き」と言われて以降は最早逆らう気なんて欠片もなくて、何度絶頂へ導かれたことか。あんな快楽は初めての経験だった。絶対、何か盛られたんだ。そうに違いないとアリスは思う。
 自信はない。好きと言われただけで、心臓が締め付けられるようだった。嬉しかった。好きでもない。ただの顔見知りでしかない幽香に言われただけで。
 一晩過ぎて冷静に考えてみても、別に幽香を好きになったりはしない。けど、あのシーンを思い出すと、顔が熱くなる。
「どうしたの?」
「なんでもない!」
 顔をぱたぱたと扇いで、そっぽを向く。幽香はにやけ面だ。何がそんなに可笑しいのか。肘を立てて拳で顔を支え、少し斜めにこっちを見ている。そうしている幽香は意外と可愛い。顔だけを見れば。実際は、妖気みたいなものが透けてみえる。少なくともアリスにはそう見える。どす黒い、背筋が凍るような何か。
「あなた、人間と同じように食事摂るんだって?」
「自分こそ、昨日は飲んで食べてでご機嫌だったじゃない。普段は食べないの?」
「お酒とおつまみは別。他は特に。で、食べるの?」
「いい。なんかぼーっとしてるし」
 そう? なんて言いながら、幽香がすり寄ってくる。アリスは体を緊張させて待ち構えつつ、そわそわと視線をあちこちに飛ばす。
「逃げないの?」
「じゃあ、逃げる」
 素早く立ち上がり、ついでに巻き取ったシーツを体に巻き付ける。脱がされた服は見あたらなかった。
 ベッドの縁に腰掛けた幽香が、熱のこもった瞳でアリスを見上げる。う、とアリスは仰け反る。幽香の瞳が、髪の一本一本からつま先まで、まるで愛撫するかのように舐めていく。きつく撒いたシーツを、知らずに硬くなった乳首が押し上げて、思わず手で隠す。
「可愛いのね」
 おちょくるように言って、幽香が立ち上がった。一糸纏わぬ姿で、気怠そうに髪をかき上げて、ゆっくりとアリスに手を伸ばしてくる。大きな乳房が、アリスを誘うように揺れる。
 首に伸びてくる手を、アリスは払わなかった。細い指が首に食い込み、少しずつ少しずつ力が入っていく。
「う、く」
「壊してしまいたい。何故かしら。他の妖怪を見ても、そんなことは思わないのに」
「すきって、いった」
 零すように言うと、幽香は少し驚いた顔をした。指から力が抜けて、どうにか呼吸を整える。
「本当にそうなのかしら? わからない。けど、わかるまで」
 腰に腕を回され、ベッドに押し倒される。シーツなんて一瞬ではぐりとられるも、アリスは幽香の瞳に釘付けだった。
「逃がさない」
 とっくにそうなる予感はしていたから、アリスは驚かなかった。むしろ嬉しくさえ思った。病んでいるなと、自嘲気味に笑う。朝っぱらから発情している幽香もまた、病んでいると思うけど。
 これから始まるであろう怠惰で生ぬるい生活が、どこか楽しみに感じられた。

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