土蔵に差し込む月光を背に、逆光の形で佇む少女。
 金髪。碧眼。不釣合いにいかめしい、しかし美しい細工の甲冑。

「問おう──」

 その声凛と慎ましく。

「貴方が、私のマスターか」

 俺は、息をするのも忘れた。








 幕が上がるとキャスターが言った。キャスターは七体目のサーヴァントの出現をしっかりと感知していた。月明かりの夜だ。キャスターと二人、堂の縁側に腰掛けて、美しい三日月を仰ぎ見ていた。キャスターはローブを外さないが、ぼうっと見とれていることがわかった。その姿は、傍目にも美しい。
 このところキャスターの夢を良く見た。夢は見ない性質(タチ)なのだが、繋がっているためか、キャスターの夢だけは良く見た。その中で、キャスターはいつも独りでいた。寂しげにぼんやりと空を見上げ、暗い森の中で月を見つめていた。それはきっと、彼女が竜が牽く馬車に乗ってたどり着いた先の光景。そこで彼女は一人ゆっくりとした時間を過ごしていたのだ。
 彼女が見上げた先にあるのは、現代では見たことのない、恐ろしくはっきりくっきり浮かび上がる月と、満天の星空だった。木々が風に凪がれて揺れると、キャスターもまたふわふわと揺れる。人生に疲れ切った彼女は、それを揺りかごにして、ただ眠りを待っている。人知れず眠りに着くその日を、空を見上げて待っている。
「……なんか、パッとしないな」
「そんなものよ。何も、よーいどんが全てじゃない。覚悟が決まれば、それでいいの」
 キャスターが無表情に返した。瞳は空を見上げたままだ。
「宗一郎さんには礼を言わなきゃな」
「……おかしな人間よ。私は好きになれない。掴み所がなくて」
「まったくその通りだと思うよ。雲みたいな人なんだ。全ては流れのままに。そんな人」
「なぜ、匿うのかしら」
 志貴は苦笑した。二日前──目覚めてすぐの宗一郎の言葉を思い出したからだった。
「何を笑っているの」
「いや、同郷の好だってさ」
「同郷なの?」
「さあ」
 キャスターが渋い顔をする。
「右も左も変人ばかり」
「キャスター」
 志貴はキャスターをじっとり睨んだ。
「人見知りが激しいの、直したほうが──」
「カツッ!」
 叫び声がした。
「ここの坊やの声ね。敵じゃないわ」
「行って来てくれ、キャスター」
「何故よ」
「人見知りを直すためには、人と触れ合うのが一番だろ」



Cautionary Warning


「──む?」
 一成は足を止めた。山門をくぐる手前。確か昨日まではそこに大穴が開いていた。それも一つや二つではない。隕石でも落ちたのかと思う惨状は、しかしどうしたことか奇麗さっぱりなくなっていた。
「久瀬さんが慌ただしかったが。と、これは……」
 ぶつくさと呟き、確かに確認した孔の場所を、掌で叩く。何の変哲もない、使い古され苔が生えた石段。だが直したのなら苔が生えているわけもなく。そもそもここまで奇麗に直せるような人間といえば、彼の知る限りでは今しがたまで厄介ごとを頼んでおいた友人くらいのもの。
 用事を済ませて学校に帰ってきたころには夕飯時を過ぎていた。友人に頼みごとをしたまま出て行ったので、その確認をしようと校舎に向かう。頼んだ雑事は全て処理されていて、相変わらずの手際に舌を巻いた。
 友人──衛宮士郎のそういったテクニックは神がかっているため、あれが何某かおかしな力であることは、そういった方面に僅かながら見識がある一成には解っていた。果たしてそれを口にしないのは、それを隠そうと奔走している友人のためであり、別に彼が陰陽師だろうと混ざり者だろうと一成は一向に構わないのだった。
「近頃はよくない流れが多い。呑まれぬ様に精進精進……」
 学校も然り。何かおかしいことが起きようとしている。右掌を顔の前に据えて黙礼をすると、ふむと頷いて砂利を踏みしめる。瞬間、異様な空気に体が凍りついた。まず最初に息を止め、瞳で周囲を窺った。他の部位は動かない。粘膜のようなものがベタベタと体に張り付いているためだ。今朝、学校の校庭に足を踏み入れたときとまったく同じ感覚だった。
 それに実体は無い。ただ一成が粘膜と感じているだけで、実際にはそのようなものは無い。体が無意識に嫌がっているのだろう。この先に進むなと体が言っている。
「ええい──喝ッ!」
 怒声は天を裂き、木々を震わせる。伊達や酔狂の賜物ではなく、丹田に篭めた力とともに放った言霊は、ある種の呪詛返しとなって一成を守護する。体に張り付いていた違和感が消えたのを確認して、一成はほうと息を吐いた。
「虚像に踊らされていては、帰れないではないか」
 制服の裾を払って、一成はごちる。まったく不愉快だ。この原因の一端には、例の客二人も大きく関わっている。
 宗一郎の肉親とその使用人だと知ると、一成の父はからからと笑って滞在を二つ返事で許した。その時点では、一成も喜ばしいことだと思っていた。だが、その二人はあまりにも怪しかった。少年は遠野志貴。一成の一つ年上であり、宗一郎の義理の弟だという。志貴とは時折会話をするが、別に怪しいことはない。持ち物もそう不思議なものではなかった。護身用だというナイフ以外に物騒なものは無かったし、彼自身は気さくな印象だ。
 だが、と一成は眼鏡を曇らせた。志貴が連れる使用人。無愛想なことこの上ない。寺にやってきてもう二日になるが、一度も口を開いているところを見せていないのだから、その無口も折り紙つきだ。常にローブで顔を隠しているのが気になって志貴にたずねると、極度の人間不信なんだという答えが返ってきた。
「悪い人では無いのだろうが……どうも良くない予感が」
 俯き思案しつつ砂利を踏みしめる。すると、じゃりっという石が踏みしめられる音が前から聞こえてきた。なんだろうと顔をあげた一成は、直立不動の態で睨み付けてくる女性──志貴の使用人──にぎょっとした目を向けた。
「こんばんわ」
「あはい、こんばんは」
 あまりに驚いたので、眼鏡がずり落ちてきた。聞かれただろうかと窺いながら一成は二歩ほど下がり、使用人と改めて対峙した。
「志貴が遅いと心配していたわ」
「いえ、特に……貴女こそ、どうかしたんですか」
「あなたの叫び声が聞こえたようだったから」
「……雑念を祓っただけのこと。何ら問題はありません故、お気になさらず」
 声は既に落ち着いていた。平静さえ保てればこちらのものとばかりに一成はまじまじと女性を窺った。化生の類ではないかと邪推したがために見た足は、しっかりと地に付いていた。瞳はローブの奥に隠れて窺えない。だが、睨まれているという実感だけがはっきりと自覚できた。
 ──何か、怒らせるようなまねをしたか。いや、失礼な妄想を聞き取られれば怒るだろうが……。
 化生だなんだと脳内で勝手に想像していた自分に嘆息しつつ、この二日間の出来事を追ってみるが、特に彼女の気に触るようなことをしたとは思えない。気付かないところで何か仕出かしたのかもしれないが、そもそも会話もこれが初めてなのだから、まずありえないだろう。
 それでは、典座の飯が気に食わなかったのか。見たところ女性は日本人ではないようだから、ありえる話だった。だが、一成とて父のくだらない主義思想によって食事については苦難の日々だ。客人とはいえ、こればかりは我慢してもらう他ない。
「食事が気に入りませんでしたか」
「は?」
 女性がはじめて見せる表情の変化だった。口をぽかんと広げてみせると、悪趣味な薄紫色のルージュも清廉なものに見えた。
「食事は、美味よ」
 果たして女性が口にしたのは、そんな言葉だった。今度は一成がぽかんとする番で、呆気に取られた一成はやがて頬を緩ませた。
「そうですか、ではそう伝えましょう。女性に美味いと言ってもらえたとあれば、坊主とて喜びます」
 なんだ、と一成は落胆するような、安心するような微妙なため息を吐いた。まるで純真な人ではないだろうかこの人は。
 女性はといえば、じっと留まったままで依然として一成を窺っている。その口元が一瞬歪んだように見えたのは、気のせいか。
「では、また明日にでも」
 そんな彼女に頭を下げて、部屋に向けて歩き始めた。名前を聞き忘れたなとぼんやり考える頭からは、陰鬱な気持ちがどこかに流れて消えていた。



「吸い取られてるのか」
 キャスターの報告を受けた志貴は、渋面を作り出して項垂れた。
「いいの? こうして既に動き始めているサーヴァントもいる。私にはあなたが勝ちに行くつもりとは思えないわ」
 七体目が確認されて間もない。だというのに、キャスターの言うとおり魂食いを是とする魔術師は行動を開始している。どこで食われようとしているのかは気になるところだったが、寺で篭城の構えを取ると決めた以上探索に赴くわけにもいかない。
「あの坊や、殺されるわよ」
 言ったキャスターは歯噛みするように、一成が消えた別館をねめつけていた。志貴はそこに安堵感を覚える。魔女だなんだと自分を卑下するわりには、キャスターは魂食いのような非道を是としなかった。というよりは話題にしようとしなかった。
 陣地形成をし、境内の中はキャスターの匂いで充満している。この中ならば、龍脈に流れを載せた魔術で街中から精気を吸い取ることもできなくはないという。精気を吸い取ればキャスターは格段に力を増し、聖杯戦争における勝率はうなぎ上りになる。だが、人の魂まで喰って勝利し、それで助けられたなどとあの勝気な妹がしれば、自分は間違いなく勘当されるだろう。それにそんな非道を許せるほどに悟っているわけでもない。
「キャスター」
 志貴はぼんやりと呟いた。
「これ以上一成君がおかしい様子だったら学校に行こう」
「可笑しな話」
「どういう意味?」
「篭城戦しかないと言っているのに。白兵戦で私が他のサーヴァントと渡り合えるなんて思わないことよ。神殿を出たら非力な魔術師でしかないんだから」
 キャスターの口調は嘆くものだ。
「ランサー相手にいい線行ってたじゃないか」
「あのランサーは本気じゃない。次に外でやりあったらまず殺されるわ」
「……いいさ。キャスターはこの前の魔術を掛けてくれ。あれがあれば少しくらいなら戦えるだろ」
「強化であなたが時間稼ぎ? まあ、そうね。空間転移は大魔術だけれど、神殿に戻るだけなら一瞬だもの」
「便利なもんだ」
「でなければキャスターは本当に噛ませ犬よ」
 ふふと意味深に笑うキャスターから視線を外し、なるほどと納得顔で頷く。それからぼんやりと三日月を見上げた。
「戦争始まったんだっけ」
「何を寝惚けたことを言って──」
 キャスターの言葉をさえぎって志貴は手を差し出す。真意を測り損ねたキャスターが首を傾げ、志貴は「握手だ」と補足する。
「なぜ」
「やっぱり、よーいどんは必要なんだよ」
 キャスターはためらっていた。志貴の手と自分の手を交互に見つめ、やがて深いため息とともに、その手を握る。
「よろしく」
「ええ」
 気のないキャスターの言葉にも、志貴は笑顔で応えていた。



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