間桐桜は目撃した。降り注ぐ雷がだらりと剣を構えた少年を打つ瞬間を。
 走りとおした足は棒のようになって、間接を動かすことも困難なほどだった。助力を求めるライダーの叫びに応じ、有りっ丈の魔力をレイラインに送り込んだ。そうしながらも、桜は走った。ライダーが勝つにしろ、負けるにしろ、その戦いを見届けることは、間桐桜の義務だったのではないか。兄に擦り付けた危険を、見届ける義務がある。
 ライダーが宝具を繰り出すまでにどれほどの攻防があったのか、桜には想像することもできなかった。或いは最初から宝具を放ったのかもしれない。見たところただの少年一人に、英霊が宝具を使用した。結果など解り切っている。少年のサーヴァントと思しきキャスターは呆然とその決着を見届け、ゆっくりと地面に降下していった。
 肉片など残らない。髪の毛の一本から血液の一滴に至るまで蒸発したマスターに何を思うのか。キャスターは杖を振りかざし、言った。
「さようなら──」
 ライダーは天馬を降り、キャスターと相対する。その瞳が桜を見つけて細くなる。ありがとう。ライダーの目はそう言っていた。
 人を殺したのにありがとうという言葉。そこに違和感を覚える前に、ライダーの口端から血が零れた。
 キャスターが続ける。
「──ライダー」
 ライダーの体が傾いでいく。いつの間にか見慣れた黒いドレス。その裾から夥しい量の血液を流しながら、ライダーはゆっくりゆっくり傾斜していく。
 その体と入れ替わるように、ライダーが立っていた場所には別の姿があった。薄茶色のジャケットに、擦り切れたジーンズ。血のりでべったりと塗れた髪をてからせ、獣のように蒼い目でこちらを見据える姿。
 月明かりに照らされる白刃もまた、黒い血で濡れていた。
「……終わった」
 ぽつんと、男が言った。
 その一言がトリガーだった。全身に熱いものがこみ上げてくる。ライダーは既に姿も無い。わかってる。現界を終えたから、彼女は器に入ったのだ。メドゥーサという、寡黙だけれども優しい英霊は、もう二度と姿を見せることはない。
 
 ──あの男に、殺された。
「声は激しく──私の涙は大地を埋める」
 真っ黒に色づいた魔力という名の水が、心の貯水池に濁流の如く流れ込む。それが、間桐桜のスイッチ。叫べば刹那、地面が轟いた。地鳴りを引き連れて、間桐の元素たる水が地面から吹き出す。それはダイアモンドカッターの切れ味を持つ間欠泉。鋼鉄さえ寸断し、マグマの流れさえ押し留める水流。
 間桐桜の持ちうる最高の攻撃魔術は、寸分違わず血塗れの男を直撃する。
「声は高らかに──私の槍は夜闇に注ぐ」
 続けざまに放ったのは鋼の雨。空高く舞い上がった魔力の塊が弾けると、無数の魔弾が降り注ぐ。
「よしなさい」
 耳元で聞こえた声に、桜は大袈裟に肩を震わせながら振り返った。魔弾を全身に受けたはずのサーヴァントが、平然として立っていた。
 手のひらが桜の胸に向けられる。
「なんで……ライダーの宝具は確かに!」
 そうだ、と桜は男が立っていた位置を見た。逃げ場なんて与えなかった。吹き出した水柱は男の四方を囲み、尚且つ一つは直撃させた。そこに降り注ぐ魔弾。それで生きていられるなんてことは……。
 だが、男もまた平然と立ち尽くしていた。蒼い瞳で桜をじっと見つめながら。
「……確かにライダーが……」
 男の周囲には透明な皮膜があった。
「物を作るのが、好きなのよ」
 桜に向けられた手のひらが上向き、乾いたスナップを響かせる。すると、物陰から何かが姿を現した。蒼い瞳。手にした日本刀。それは、自分を睨み付けている男とまるで同じ姿、顔、形で歩き──
「私はキャスター」
 再び鳴り響いたスナップによって、初めから無かった物のように消え去った。
 傀儡。人形。ダミー。桜の脳裏に波紋が広がる。それだけ見てしまえば十分過ぎた。つまり、ライダーは偽者を攻撃し、本物に殺されたということ。
「ライダーが、気付けもしなかったなんて……」
 それに、ベルレフォーンの速度は人間が捉えられるようなものでは無いはずだ。速度と纏ったエーテルによる体当たり攻撃。速度は武器だ。サーヴァントさえ滅ぼせる火力を誇る最強の体当たり。いくら偽者を攻撃しようと離脱するには十分な速度を保っていた。だがライダーは止まった。壁にぶつかって跳ねたわけでもない。ゆっくりと減速していったわけでもない。何の脈絡もなく、彼女を取り囲んでいた物理法則全てを殺されたように、ライダーは止まり、そして死んだ。
「帰りなさい、貴女では触れることも叶わないのだから。それに……」
 キャスターが視線をずらす。桜はその先を追って、僅かに肩を強張らせた。
「バー、サーカー……」
 黒光りする岩のような筋肉。二メートルを優に超える巨体と、それに不釣合いなほど小さな少女。少女は恭しく頭を下げる。
「こんばんわ、キャスター」
 場違いなほど澄んだ笑みで頭を下げる少女に、キャスターは露骨に怒りを滲ませた。
「一応、貴女を助けたのはわたしなんだけど。そういう目で見るのはよくないと思うわ」
「お黙りなさい。昨晩私に意識があれば、あのような失態など演じなかった。死にたくなければ早々に立ち去ることね」
「ふぅん……こういうの、恩を仇で返すって言うのよね」
「小娘が……!」
 キャスターの雰囲気が変化する。刺々しいながらもどこか丸みを帯びていた魔力が、空気さえ凍らせるほどの奔流となって渦巻く。間近での魔力の爆発に、思わず倒れ掛かった背中が、何かによって支えられる。
「やめろ、キャスター」
「マスター」
 細い手だった。桜は跳ね除けるように身を起こし、二人から離れる。
 跳ね除けられた手をじっと見つめた男は、焦点の定まらない蒼い瞳を木陰に移す。
「お兄さんだろ?」
 言うとおり、木陰には兄が倒れている。その兄をも覆う薄い皮膜に気付いて、桜は再度キャスターを見つめた。助けてくれたのだ、桜が放った無差別の魔力から。
 気を失った兄に駆け寄りつつ、桜はようやくライダーのための涙を流した。



***



「お兄さんだろ?」
 そう言ったつもりだったが、しっかりと発音できているか不安だった。耳鳴りが酷くてキャスターとイリヤスフィールが何を言い合っているのかも解らなかったし、骨刀・刀崎を握った右手はおろか、地面を踏みしめている感覚さえなかった。最も酷いのは、目だったが……。
 とにかく間桐桜が走っていったのを見るに、言いたいことは伝わったようだった。改めてイリヤスフィールとキャスターを、ゆっくりと視界に納めた。
「こんばんわ、キャスターのマスター。勝ったのね」
 少女の口がそう動いたような気がした。
「何か、用なのか?」
「……挨拶をされたら返す。どこの国でも基本だと思ったけど」
 イリヤスフィールは憮然と頬を膨らませた。背後のバーサーカーは大人しく立っているのみで、襲ってくる気配は無い。
「ああ、悪い。こんばんは、イリヤスフィール。で、用は? 戦うっていうなら、相手になる」
 我ながら率直な物言いだとも思うが、生憎回りくどい言い回しをする余裕などどこにもない。体が空気になって、意識だけが浮いているような気分だった。
「やめておいたほうがいいと思う。あなた、魔眼使いでしょ? それごとキャスターに強化させたから、暴走しちゃってるじゃない。そんなので戦ったって、わたしの魔術でも倒せるんだから」
 イリヤスフィールは軽い足取りで近づいてきて、下から志貴の目を覗きこむ。キャスターが身じろぎしたのを制して、「よくわかるね」と返した志貴は、その場に腰を下ろした。
「志貴、撤退しましょう。今この場では、アサシンを倒したバーサーカーに太刀打ちなどできない。それに、貴方の眼は──」
「どうせもう使い物にならないんだ。逃げるのは、イリヤスフィールの話を聞いてからでもいい。お前ならできるだろ?」
 キャスターは押し黙る。ずるい言い方だが致し方ない。
「わざわざ出てきたんだ、話があるんじゃないか?」
「そうね、なんだか危ない状況みたいだから単刀直入に言うけど」
「うん」
「手を組まない?」




Excalibur



「その、悪かったな、遠坂。手間取らせて」
「いいわよ別に。ショック受けてるのはそっちでしょ。何せ、自分の半生が否定されたんだから」
 セイバーはふむ、と唸った。ついさっきまで放心していた者になかなか痛烈なことを言う。もちろん、『魔術回路は切り替えるもの』という、セイバーでさえ知っている魔術における基礎中の基礎で蹴躓いていた者には当然の態度なのかもしれなかったが。
 外はもう暗い。士郎が縁側で放心していた時間はおよそ四時間というところだ。この数年で日常とまで化していた行動を『無駄。やめろ。バカじゃない』と一蹴されたにしては、立ち直りが早かったといえるだろう。
「まあ、凛。その辺にしておいてください。それ以上毒を吐かれては、シロウがシロウで無くなりかねない」
 適当に助け舟を出しつつ、和菓子と共に緑茶を啜る。心なしかいつもより苦いのは、きっと士郎の精神状態を表している。セイバーはもう少し大人しい味が好みだった。
「ライダーを倒す前に廃人になられても困るしね」
 凛はいまだに呆れた顔で士郎をじっとりと睨んでいる。
「そうですよ。ですからシロウ。あなたも元気を出してください。毎晩の生成であなたは類稀な集中力を授かったのですから、まったくの無駄ということもありません」
「ありがとうセイバー。お茶、不味いな。いれなおすよ」
 士郎はぎこちない微笑を浮かべながら立ち上がり、急須片手に台所に向かった。凛とセイバーは見送ったあと、顔を見合わせてため息を吐いた。
「重症ね」
「原因は凛ではありませんか」
「……原因だったらわたしじゃなくて衛宮くんの師匠ね。無断で人の土地に潜り込んで、挙句半人前を放置。許されることじゃないんだから」
 確かにそうだ。切嗣さえしっかりしていれば、士郎はもっと素晴らしい魔術師になれたかもしれない。
 凛の言葉に頷こうとしたセイバーの体が小さく跳ねる。電気ショックでも受けたような反応に凛が眼を丸くした瞬間、セイバーは勢い良く障子を開け放ち、暗闇に目を凝らす。
「……錯覚じゃないってこと」
 凛も窓際に移り、空を見上げた。
「途轍もない魔力。どこかのサーヴァントが宝具を使ったわね」
「凛、アーチャーは無事ですか」
「大丈夫。観戦してるみたい」
 一瞬そのアーチャーが戦っているのではないかと危惧したセイバーだったが、平然とした凛の様子に胸を撫で下ろす。彼も、そう簡単に殺していい相手ではない。
「念のため呼び戻したらどうです。流れ弾で逝くなどと笑えませんよ」
「……セイバー」
 凛は怪訝そうな顔でセイバーを見た。
「アイツのこと心配してるの?」
「そうではありません。あなたを心配しているのですよ」
 納得したのかしないのか。曖昧な表情で石油ストーブの前まで戻ると、凛は頭を掻いた。
「ふうん……しっかしこの豹変っぷりは凄いわよね」
「私のことですか?」
「そう。遠野志貴と喋ってるときのあなたときたら、鬼もかくやって感じだったから。アイツはセイバーが食いしん坊だなんて知ったらそれだけで戦意喪失するかも」
 あまりの言い草に、セイバーは身を乗り出して凛を睨み付ける。
「凛、今のは聞き流せません。良いではないですか、お腹は空くんです。それが自然です」
 セイバーが言い切ると、台所から堪えたような笑い声が聞こえてきた。
「なんですか、シロウまで」
「いい作戦じゃないか、遠坂。それならとても平和的だ」
「でしょ。他のサーヴァントにも見せてあげないとね、このセイバーを」
 士郎は新たに淹れたお茶を湯飲みに注ぎ、テーブルの上に置いた。凛は両手を擦りながら湯飲みに手をかけ、一口啜ったあと盛大に吐息を零した。弛んだ空気の糸を引っ張るような、合図のような吐息で、セイバーと士郎は静かに腰を下ろした。
 弛緩した糸を手繰り寄せた凛はフッと瞳を細める。士郎が緊張するのを感じながら、セイバーは凛の言葉を待つ。
「明日、ライダーを倒しに行くけど、異存は無いわよね」
 単刀直入な言葉に、士郎は一瞬言葉を失ったようだったが、すぐに気を取り直したのか、大きく頷いた。
「そうだな。作戦は?」
「マスターまでわかってれば、作戦は決まったようなものね。慎二を直接狙う」
「……狙うっていうのは?」
「拘束するってこと。それでチェックメイト。令呪を手放すように言って、おしまいよ」
「いざ戦闘になっても、こちらの戦力は私とアーチャー。余程のことがなければ、敗北は無いでしょう」
 セイバーは横目で凛を見た。『余程のこと』とはアーチャーの裏切りを懸念した言葉だ。アーチャーはキャスターとの戦闘中に士郎に危害を加えようとしている。その理由こそ不明だが、士郎とアーチャーの確執……というよりアーチャーの士郎に対する異常なまでの執着を考えれば、明らかな殺意による行動。理由、原因は気に掛かるが、見当がつかないこともない。馬鹿馬鹿しく、否定したいところではあるが、衛宮士郎と共に生活していると強ちハズレとも思えないというのが偽らざるセイバーの本音だった。
 凛はセイバーの真意を悟って沈黙した。「その必要はなくなった」という低い声が聞こえたのはそのときだった。
「アーチャー?」
 名を呼ばれた騎士は霊体化させていた体を、突如居間に現して、セイバーたちを見下ろす。
「必要は無いって、どういうことだ」
 硬く結ばれたアーチャーの口元と鋭い瞳には頑なな意志を感じる。そこに数日前の悪夢でも見たのか、士郎の声には緊張が混じっていた。
「ライダーはキャスターと遠野志貴に倒された」
「……では、先ほどの魔力の高鳴りは」
「ライダーの宝具だ。それをキャスターの魔術で避け、遠野志貴は一撃でライダーを仕留めた」
 一撃という言葉が突風となって居間を吹きぬける。戦慄するような悪寒は背中から首筋まで這い上がってきて、セイバーの拳を震わせた。
 この聖杯戦争に、弱い者など無い。戦闘能力で突出しないライダーであれ、宝具の力は絶大だ。街全体の空気を打ち震わせるほどの強烈が、敗れた。久しく忘れていた武者震いの感覚に戸惑う。
「これで休戦協定は無くなった」
 戸惑う暇など無いとばかりにアーチャーが告げる。士郎は今度こそアーチャーを睨みつける。セイバーは一瞬で鎧を具現化し、不可視の剣を構えた。
「ちょっと待って」
 一触即発の空気に、凛が割ってはいる。
「アーチャー、言いたいことはそれだけじゃないでしょ」
「その通りだ……一つ提案がある」
「聞きましょう。協定が無くなったと言ったのはそちらだ。気に入らなければ切り伏せます」
 アーチャーは鼻で笑う。
「できれば協定を続けたい。厄介なことになったのでな」
 アーチャーは語調を変えずに言ったが、その口元は笑みなど刻まなかった。怒りと、悔しさのようなものを滲ませていた。
「続ける……? おまえらしくも無いな」
「耳が痛いな。だが、キャスターとバーサーカーが組んだと言えば、貴様にも事の重大さは解るだろう」
「な──! イリヤが、志貴と?」
 武者震いさえ打ち消す衝撃に、セイバーは目を見開いた。
「有り得ない。あの少女が他人と組むなど。アレは己を神聖視している。その自尊心の塊のような者が、よりにもよってあのシキと組んだというのですか」
「だが事実だセイバー。私はこの目で見、そしてこの耳で聞いた。イリヤスフィールの真意はわからない。しかし二人組となればこちらを意識しての行動だろう」
「……アサシンも死んだのよね? これで、残りは五人。そのうちの二組ずつが協定を結ぶ状態。狙うのは単体で動いてるランサーでもいいんじゃない?」
「いえ、もしも本当にバーサーカーとキャスターが組んだのだとすれば、万全で挑まねばなりません。私とアーチャーが同時に攻めるのなら、ランサーに勝機は無いでしょうが、無傷で勝てる相手でもない。どちらか片方は痛手を負うことになるはず。そこをバーサーカー達に襲われれば、ひとたまりも無いでしょう」
 凛が唸る。
「そうか……セイバーならバーサーカーとも対等に戦えるけど、そこにキャスターの援護が入るのね。結果なんて……考えたくもない」
「迎え撃つのか、打って出るのか……。どちらにしろ大怪我覚悟の大仕事になりそうだな」
「だが、付け入る隙はあるかもしれん」
「言って」
「キャスターはバーサーカー達を快く思っていない。キャスターの飼い犬だったアサシンを殺したのはバーサーカーだからな」
「アレだけやっておいて……仲間意識だけは随分強いみたいね、キャスターって」
「まぁ、何にせよ──」
 アーチャーはようやく不敵に微笑む。
「協定については引き続きということで構わないのだな?」
 セイバーは見逃さない。アーチャーが士郎を嘲笑うように目を細めたのを。



***



 しんしんと、澄みきった風がナイフのような鋭さで桜の体を打った。外人墓地を経て、教会へと通じる上り坂。
 肩に感じる兄の体は想像以上に軽い。それでも疲労した体に、六十キロもの重りはつらい。自宅から公園までの全力疾走に続けて、高位魔術の連発。修めた最高を続けざまに放ったのだから、動けるだけでも僥倖だった。
「あと少しだから、兄さん」
 目覚めない兄に声をかけつつ、何度も休憩しながら足を動かす。息は絶え絶えで、無傷の慎二と比べればはるかに重症に見えた。だが、慎二の傷は外面には現れない。ライダーの判断能力さえ鈍らせた結界は、慎二の五感を完全に破壊している。桜が平気だったのは、ライダーの死に沸騰した頭が結界に入る前に魔術回路を開いたからだ。魔術回路すら無い兄では、影響を十割全て受けてしまったということ。
 桜が術式を組む瞬間に慎二をも防御魔術の対象にしたキャスターでさえ、この結果は予想外だったに違いない。魔術回路を持たないマスターなど、想定するはずがない。だから、慎二のことでキャスターたちを恨むのはお門違いだ。だが、
「ライダーのことは」
 許せなかった。
 怒りや恨みよりも悲しみのほうが強い。
 慎二に独占されていて、ろくに会話することもできなかった。正直に言えば興味も無かった。戦争など、他所でやってくれればいい。兄が身代わりとして危険に身を晒すのならそれでいいとさえ思った。だが、ライダーは常に桜の心配をして、桜のことを考えながら行動していた。学校の結界を発動させることを最後まで拒んだのはライダーだった。心の底で嫌だと絶叫していた桜の代わりに、ライダーが抗議してくれていたのだ。
 そんなライダーのことを知っていても、たった一撃で虫けらのように殺せたのか。死人のような蒼い瞳で、何もかも見透かしたような目をして。
『お兄さんだろ』
 そう告げたあの口が、あの顔が、目が。恨めしい。
『確かにセイバーとアーチャーの姿も確認しましたが、まるでノーマークだった相手に邪魔を』
 昨晩のライダーの言葉だ。ノーマークとはキャスターだったのだろう。ライダーは嬉しそうに語っていた。己の暴挙を止めてくれる相手に感謝さえしていただろう。桜でさえ嬉しかったのだ、ライダーもそう感じたはずだ。それをあんな冷たい目で睨み付けて、完膚なきまでに殺した。戦争とはそういうものだと解っている。解ってはいるが、納得できない。
 眼前の建物を見上げる。巨大な教会だ。言峰神父は恐らく桜を待ちわびている。敗者を保護するという目的のために、首を長くして待っているはずだ。教会の人間にして魔術師。その神霊医術の腕は素晴らしいと聞く。まずは慎二を回復させよう。考えるのは、それからでいい。
 鈍重そうな扉がゆっくりと開く。人一人分扉が開いたところで、見下ろす視線を感じた。
「迷える子羊……とは上手い喩えだな。まさしくそれがここにある」
「……言峰神父。兄さんを」
「ライダーが呑まれたか」
 神父は桜と慎二を交互に見、そして片方の口端だけを歪に歪めて見せると、大きく扉を開け放った。
「中に入れ。間桐桜、きみも随分と消耗しているようだ」
 言われるがままに教会の中に進む。礼拝堂には一人の外国人が居座っていた。外国人はめんどくさそうに首を回すと、赤い瞳を桜とあわせた。
「ほう、貴様やられたか」
「──知り合いか? ギルガメッシュ」
「知り合いという程ではない。一度声をかけたことがあってな。心地よい魔力を持っていたが、負けるとは。セイバーにでも挑んだか」
 外国人──聞き間違いでなければギルガメッシュと呼ばれた男は、おかしそうに桜と担がれている慎二を見やった。
「ギル、ガメッシュ?」
 男は小首を傾げるようにしてから、大仰な身振りで立ち上がり、両手を広げるジェスチャーをする。
「如何にも、(オレ)はギルガメッシュ。言峰、コイツはまだ喰わん。見たところ、別の意味で餌になろう」
 赤い瞳が慎二を射抜く。
「そいつは要らぬ」
「待ってください……一体何の話を。それに、ギルガメッシュって……あの」
 バビロニアの王のことなのか。口に出せず言い篭もる桜に、二人は冷笑を浴びせる。
「雑種、容易く人の名を呼び捨てるな。呼びたければ……アーチャーとでも呼ぶがいい」
「……アー、チャー? でも……まさか前回の……」
「ほう? 解っているではないか。雑種の割には頭が働く。褒めて遣わすぞ。そう、今回のアーチャーはあのフェイカー」
 ギルガメッシュは頷き、目を閉じ自嘲するように笑った。
「ということは、どういうことなのだろうな」
 桜は一歩二歩と後退した。前回戦争から生き残っている? 言峰綺礼からはそう強力な魔力を感じない。その彼に十年間もサーヴァントを現界させ続けられるとは思えない。と考えた頭に『言峰、コイツはまだ喰わん』というセリフが思い起こされた。
「その通りだ間桐桜。コイツは十年間人の魂を喰って生き長らえてきた」
 後退しつつあった体は、背後に言峰を感じると止まる。桜は肩に抱いた兄を強く自分に引き寄せた。
「兄さんを……どうするつもりですか」
「食うか?」
「食わん」
「だ、そうだが?」
 言峰もギルガメッシュも、瞳が笑っている。否、哂っている。逃げ惑うネズミを甚振る猫のような目だ。桜の心臓は既に破裂しそうだった。助けを求め飛び込んだ場所に地雷があったようなものだ。そして桜はそれを踏んだ。あとは動くだけで、粉微塵に砕ける。
「何を、すればいいんです」
「簡単なこと。ここに居ろ。それだけで全ては事足りる」
「兄さん、は?」
「責任を持って、治療しよう。それが私の仕事だ」
 言葉以外に、信じられるものは無かった。
 藁にも縋る気持ちというものを理解しつつ、脳裏を掠めたのは青く冷たい瞳と、熱く燃える先輩の瞳だった。




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